昭魂碑に参拝をしてきました

昭魂碑に参拝をしてきました

塔頂部に据えられたブロンズ像は、『日本書紀』において神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金色の鵄(トビ)をモチーフとしている。この巨大な金鵄像(翼長6.7㍍)は東京で分割鋳造後、鉄道にて仙台へ輸送され現地で接合され設置された。設計製作は東京美術学校(現・東京藝術大学)の河邊正夫(全体の図案設計)、沼田一雅(金鵄像の原型製作)、桜岡三四郎・津田信夫(金鵄像の鋳造)ら後に各分野を牽引することになる若き芸術家たちの手によるもので、国内ブロンズ彫刻の最初期にして比類なき大傑作となった。また塔中央に掲げられた「昭忠」の銘板は小松宮彰仁親王の揮毫による。
 その後、昭忠碑は1936年の震災により左の翼が落下(後に修復)するも、幸い戦時中の金属供出を免れたため、現代に明治期の文化・技術を伝える文化財的価値の高い貴重な歴史遺産となっていた。そして、歴史博物館青葉城資料展示館の4点ある屋外彫刻資料の1つとして管理されてきた。
 しかし、2011年3月11日の東日本大震災で被災、塔頂部にあった金鵄が基壇上に落下し頭部・左翼などがバラバラに破損し、塔部分に大規模な亀裂などの損傷を被るなど大きな被害を受けた
ようやく保存、そして修復向けた動きがはじまった。東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会(文化財レスキュー)の事業として、東京文化財研究所と彫刻が専門の研究者で構成される屋外彫刻調査保存研究会のご指導と全面協力により、2012年には金鵄破片の回収・保管(1/22)、高所作業車を用いた塔の被害調査、塔頂部の保護・補強と残存部品の回収(6/26)を、2013年には金鵄をクレーン車で基壇より石段下に移動、覆屋を建て格納する作業を行った(2/4~9)。
 同救援委員会は2013年3月末日をもって解散となったが、2014年4月文化庁・宮城県による「被災博物館等再興事業」にご採用いただき、東京文化財研究所、屋外彫刻調査保存研究会のご指導のもと、石段・塔・基壇部分の修復工事(5~6月)と、塔頂部安全対策工事(8~9月)が行なわれた。
翌平成27年度被災博物館等再興事業として、金鵄ブロンズ部分は復元作業を行なうため、ブロンズ彫刻修復専門工房(株)ブロンズスタジオ(東京都瑞穂町)に搬送され(2015年7/7・8)、修復がはじまった。

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