良く耳にする話。

良く耳にする話。


器が大きい人は○○○することができる。とか、

○○○することができる人は、人に愛される。とか良く耳にする。



その、○○○。

他人の成功や称賛、なんなら、結婚でも、昇進でもいい。


自分のことの様に喜ぶことができる(やっかみしない。嫉妬しない)という内容。


こっから本題なんだが、


器は大きい方がいいに決まってるし、自然に喜ぶ感情があるならそれでもかまわない。


ただ、



これは、その成功者が、あなたに身体的、精神的に害を成してないを前提であるべきだ。




私が思うに、もし、『あなた』を苦しめてきた人が成功した時に自分のことの様に喜べたら、それは『あなた自身をあなたはたいせつに出来てない』と同義だとも取れる。


あなたは『あなた自身』をたいせつにすることが重要だ。

そのために、素直に喜べない感情があるなら、その感情はたいせつにすることは許されるべきだ。


なぜなら、あなたを蹴落として成功した時に受けたあなたの感情をその成功者が、どんなフォローをしても『完全には償えない』からだ。成功したが故に対等にはなれない。


それで、『あなたは器の小さい人』だと成るなら、器の話は、他人を蹴落として成功した人の言い訳にしかならない。


だから、喜んだ振りを無理にしたり、取り繕う自分に疲れて急に馬鹿馬鹿しいとこみ上げる感情があるなら、『あなたにとってしんどい相手のことまで一緒に喜ぶ必要』はないのだ。


友人に対しても『友人』なのか、『友人の振りをした敵』フレネミーかはその時考えてみる価値はある。


もちろん、例外もあるだろう。


親友だけど素直に喜べない自分は未熟だとか、喜べないけど親友は親友だとか。


しかし、例外はともかく

成りきりの『良い人』キャラクターを作ってまで自分を犠牲にして人を祝福してもあなたは幸せにはならない。


自分の素で出た感情のまま祝福するならそれは素晴らしいと言える。


自身の失った、傷付いた、あなたの尊厳の為に『祝福しない』を選択する強さがないと


実生活の環境は生き残れない。


シマウマを食べるライオンが悪か考えて欲しい。


ライオンは悪ではない。食べないと生きていけない。


我々も尊厳無しでは生きていけない。

同じ事だ。

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